INVISIBLE STORM

だからわたしはわたしを砕く

桜とTiktok

桜を見に行きました。

 晴天ということもあり青空に桜が生えててとても綺麗でした。
 若者らしく写真をパシャパシャと撮っていたのですが、近くの老夫婦が写真を撮らずただじっと桜を見つめていてそういう鑑賞があるのか……かっこいいなという気持ちになりました。
 ファインダー越しではなく、自分の目に焼き付けるような「花を見る」仕草はとてもかっこいい。花見の元来の在り方なような気がする見方なのに、自分の周囲の文化と離れている気がして新鮮でした。一周回って新しいようにも感じる。

 

 

 自分の感性の老化を防ぐために、新しいものを忌避せずに触れるようにしている。Tiktokとか毎日見てる。これもなかなか面白い。
 若いうちは何もしていなくても新しいものが周囲に溢れかえっていて、いつの間にか吸収できていたけれど最近は意識していかないと置いていかれている気がする。まだまだ若者の部類なはずなのに、この感覚があるのは非常にまずい。
 歳を追うごとにだんだん頑固になっていてるというか、「これは悪いものだから見なくていい」「これはつまらないから触れない方が得」みたいな損得勘定やこれまでの経験則を重んじる用になってきてしまっている気がします。
 原因は簡単で、単純に体力がない。それと時間もない。だから取捨選択として体力も時間も使う「新しいもの」への腰が重くなっているのです。

 

 これを悲しい変化だと思っていたけれど、花を見ていたあの老夫婦は新しいことをしていなくても、ただじっと花を見ることで何か素敵なものを得ていた気がする。
 それはTiktokInstagramからは得られないけど、自分だけの素敵なもののように感じる。何かから逃れたり焦ったりするように新しいものを四角いディスプレイから探し出すだけじゃなくて、たまには自分の目だけを使って空を見たりしてみるのもいいかもしれません。

 

安定とルーティーン


 お久しぶりです。1年ぶりの更新です。

 前回の更新がだいたい一年前で、その間にいろいろありました。
 新社会人になり、環境の変化から毎日いろいろ目まぐるしく進んでいき、割と長く感じた一年になったと思います。人間、新しいことを始めると時間が経つのが早く感じますね。

 

 春、季節の変わり目で自律神経が崩れやすく今年も例年通りに体調を崩していたのですが『柴胡桂枝乾姜湯』という漢方を飲み始めたらかなり快調しました。
 この漢方、効能が非常に多く今回目的としていた「発熱(微熱)の症状回復」以外にも「精神不調」「便秘」「不眠」「冷え性」等々への回復効果もあるらしく、とても強い。
 おかげで、いつも冷えている指先はポカポカ。穏やかな気持ちかつ久しぶりに目覚めの良い朝を迎えることができました。ただ、便秘はしていなかったので腸が便を出そうと必死に唸り上げている様子が痛みとして本体にぶつかってくる形になっています。こんな形で便秘解消効果が副作用となるとは。人の身体と薬の間合いは難しい。

 

 今までは「いずれ治るだろうし、耐え忍ぶしかない」「病院に行っても無駄だった。じゃあ何しても無駄だろう」という気持ちで放置していたこの体質だったのですが、社会人になり会社に行かなければいけない・仕事しなければならないという思いでサクッと解決案を試す人間になりました。そうした方がコスパが良いので……。
 学生時代だと「いつまでに治っていたらいい」「治っていなければそれを言い訳にして甘えられる」みたいな気持ちがありました。病院に行くのも「行けば言い訳に使える」という意識というか。治すことに当時の自分にとってのそこまでメリットがなかったというか……。「他者から見える自分」のための行動としていろいろ動いていました。そこが変化したなと思っています。

 

 

 社会人になって楽だなと思うことは主に「人生における拘束時間が固定化された」「自由時間は本当に自由」の二点。自分は臨機応変な行動が苦手なので突然予定を狂わされると何もできなくなってしまう。心にゆとりを持たせる日を作るのも、忙しない1日を作るのも自由。拘束時間は昔より多くなったけれど、残りの時間は何してもいいのが嬉しい。課題について不安がったり収入の不安定さを嘆かなくてもいい。

 会社員が本当に向いているかと言われたらあまりそうとは言い切れないけど、手に入れた自由を離したくないからしばらくはこの甘い汁を啜っていようと思ってます。

 

責任という呪い

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 昨日は余裕がないと言ったけれど、あれは嘘だ。人間、規則正しい生活をすればある程度時間が出てくるし、体力を使うことに慣れたらその分保つようになる。部屋の片付けとか家事とかもリセットされているおかげで「これをやらなくてはならない」という焦燥感がなく、心の余裕が凄まじい。この心の余裕を得るために、定期的に引っ越しをしたいくらいだ。

 ある程度、生活習慣を定めてもらえるとそれに則って動けばいいから意外と楽なのかもしれない。ある程度ルールを定めてもらったほうが、「自分が何をすべきか」「何が悪いことか」「どうしたら正しくいられるのか」ということを考えすぎずに済む。考えすぎると、不安や迷いで全部嫌になって辞めてしまう。ゲームだって、自由に色々やらせてもらえるものよりもやることが決まっていて淡々とそれらをこなすものほうが好きな人間だ。人に全てを管理されたり、自分の予定を他人都合で捻じ曲げられるのは嫌だけど、ある程度の不自由の中での自由の方が快適なのだ。自由には、責任がつきまとうので。

 運転免許証を取るために四苦八苦しながら生活を正しているわけだが、教習中や運転中、試験勉強中に「自分みたいな人間が本当に運転をしていいのだろうか……」という気持ちになる。教習中は何を自分がしているのかわからなくなるし、慌てて教習車とぶつかりそうになるし、アクセルとブレーキを踏み間違えそうになるし、正直自分が怖い。

 昔から、手に入れてしまうと「持っていなかった自分に戻れなくなるもの」を極端に怯えるきらいがある。内定とかも「本当に自分はこれでいいのかな」という不安からあまり喜ぶことができなかったし、「怖いから捨てちゃいたい」という思いでたくさんになってしまう。

 そういうものの共通点って基本的に「責任」がかなり付き纏ってくるんですよね。社会人の「責任」、運転手の「責任」、会社員としての「責任」。この「責任」という言葉に強い苦手意識がある。

 「責任」って言葉、かなり仰々しいしなんか怖いしすごく苦手です。中学時代、部活で失敗して先輩の悪口を同級生に言ったらそいつに全部チクられてリンチされて「これからは自分の発言に責任を持つようにします」と泣きながら言わせられるトラウマ経験をしたせいで、「責任」という言葉にのしかかる重圧に泣いちゃいそうなのだ。

 「責任」という言葉を「この人は攻撃してもいいですよ」という目印にされているような気がして、その言葉を背負わされると全員が敵みたいに見えてきて怖い。何でそんな脅しみたいにいろんなところに存在しているんだろう……と思ってしまう。呪いって、こういうのを言うんじゃないか……。

 この言葉のせいでネガティブになって緊張してガチガチになるよりも、肩の力抜いた方がいい結果が出るし適当なほうがある程度はうまくいく。ただ、そのために「何を守らないといけないのか」とか「どうあるべきなのか」というルールがやっぱり必要なんだと思う。ルールは盾で、遵守する限り責任という重圧から守ってくれる。不自由には、安心がある。私は弱いので、責任という剣で自由を開拓していくよりもルールという盾に守られて引きこもって安心していたいのだ。

暇のある生活、ない生活

2月25日から、合宿免許に来ています。

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バスに乗ると地元みたいな雰囲気の場所に出ますが、ホテルの近くはこんな感じ。

山形の、米沢というところです。牛が有名で美味しいらしく、滞在中に一度食べられるらしいのでとても楽しみ。

 

合宿免許、結構調べて見ても詳しい過ごし方やレポなどが出てこなかったので、どうなんだろう……と不安になっていたけれど、周囲が同世代(私が4年生なので、概ね歳下)だったためプレッシャーを感じずに過ごせている。1、2年前の私だったら胃を痛めていたと思う。

思ったより厳しく当たられることはなく、親切にしてもらえている。辛いことを特筆するとしたら学生時代のような慢性的な眠気が常にあるということだけ。生活習慣だと思うので、社会人になる前に少しは改善していきたい所存です。

自宅の娯楽の多さを鑑みて暇になることを考慮して色々持ってきたけれど、今のところ手をつけられていない。暇、全然ないです。日々を忙しいと感じている原因は日常の構成の仕方が原因なのでは……? となったので、この合宿の機会に顧みられたらいいですね。

暇、というとちょっと聞こえが悪いですが「余裕のある生活」というとかなりかっこいい。生活以外でも、余裕というものはあればあるほどかっこいい気がします。

暇はなるものではなく作るものだとよく聞くので、ダラダラ物事をやらずに時間を決めたり、先々を見越して計画を立てたりして過ごして行きたいです。頑張るぞ〜。

お元気です

なんだかんだ黒歴史を消してしまう性質の人間だから、ここが残っているのが意外だった。
文章は気取ってるし痛々しいしやっぱり紛れもなく黒歴史ではあるんだけど、あの時の自分が精一杯文字で表した「私」という虚像がこれだったんだろうなぁ、と懐かしいような、慈しむような……そういう気持ちになった。言葉の意味合ってるかな、これ。

昔の私ほど尖ってないし言いたいこともないしあんまり世の中に不満もなくて、こうやって自分の思ったことを書き出すぞってやっても特に文章が出てくるわけでもなく……。でも「これが大人なのか」と悲観的になってるんじゃなくて、無常だと嘆きたい気持ちもなくて。それなりにずっと楽しいです。

大学入ってから、学校じゃない人間関係を自分で作ることができるようになって、いろんな人の話を聞いたり見たり関わったりできたことが私の中ですごく大きかったんだと思う。
人と話すことで、また作品を作って人と共有することで自分を客観視したり、自分と他人の境界を理解できたり……。今の私の中でそれがものすごく大切なことになってる。

高校までの私は大人になる前に大切なものを見つけないとってずっと焦ってたし、それまでに得た常識でしか戦えないんだって思ってたんだけど、実際そうでもないし、今は大丈夫で元気に生きています。

でも、息がしやすくなることはつまらなくなることだったり恐ろしいことのように感じていたのは本当だったんだろうなって思った。それは忘れたくないなって思えたから、ここを残しておいてよかった。

未来の自分がまた読み返して今日のぶんを「くっさいな……」って気持ちになるんじゃないかと焦ってきた……。未来の私は今日の私よりも大人になっていますように。いやでも、ちょっとはガキの感性残ってたままのほうがいいな……多分。

中身がない

 今わたしはベッドの上にて何の感情も無くコレを打っています。特に書きたいこともないけれど、そんな書きたいことがないせいでSNSを見る気力すら削がれていますなう。故にすることがない、気分が落ちているのかもしれない。

 今日はぼんやり朝からそんな気持ちだったので、ぼんやりと学生の仕事である学校を休んだ。というかあれ、仕事なのだろうか? 仕事は質量を移動させることという考えならわたしは今スマホを持ち上げるという仕事をきちんとこなしている。金銭を稼ぐことを仕事というなら確実に学校へ行くことは仕事ではない。金銭を稼ぐために勉強をするという目的意識は学校に対して無いため、ここでは割愛しようと思う。以上は自己正当化のための言い訳なので無視してほしい。私は学校を休んだだけ。

 特に書きたいことがないため、スマホの画面を滑る指がとても頻繁に止まる。あと眠いのかもしれない。睡眠時間は馬鹿みたいに長いはずだ、しかし眠い。お腹が痛いので私は病院に行くべきだと思う。けれど外に出る気力も湧かない。頭が痛いからスマホを触るのをやめるべきだと私に言い聞かせても、いつの間にやら自分の手にはスマホが収まっている。病的に取り憑かれてるなあ、まああんまりな不便を感じている気はしないけれど、時間の観点からしてみればこれらはかなり無駄である。こんなことぐちゃぐちゃ書いてないで行動を起こせと思う。私も同じ意見だ。ただめんどくさいという気持ちが先行してまだ私はベッドの上にて何もしてない、何もしてないのだ。

ダイヤルの乱れに乱される心

去年「何者」という映画を見たときから、作中の「頭の中にあるうちは傑作」という台詞が頭を離れない。

映画や他人の作品に置いて私も、や、私が、という意見は及びではないのかもしれないけど、私も、自分の考えや妄想を作品に昇華していくタイプの人間だから、とてもこの言葉は突き刺さった。

そうなのだ、作品は昇華している間にいつの間にか駄作になっていたりする。

 

 

3月9日、快晴。

通学の為に電車に駆け乗って、空いていた席に座ってアイドルのインタビュー記事を読んで、二駅くらいのんびりしているとオッサンが電車内でメイクをしている若い女の人に「家でしてこい」だの「常識がない」だのと話してた。よせばいいのに、大声で「低学歴だな」と罵ったりしていて吹き出してしまった。罵りは続いて、女の人に向かって唾を吐くような(吐いていたのかもしれない、わからないけれど)音を掛けたり、また繰り返し低学歴だと言ったり。女の人が終始無言だったので、どういう気持ちだったのか是非問いたかった。

 

昼、は、よく覚えてない。ひたすらスマホいじってた。

あ、テストの点が悪くて担任にどうしたのかと心配された。文句があったら聞くと言われたけど、特にない。

 

家に帰ってから、テストの点が悪かったことに落ち込んでベッドに倒れ込んだら、そのまま夕食まで寝落ちた。とにかく眠かった。

 

最近グリーンスムージーを作りたいという感情が湧いて湧いて仕方がない。グリーンスムージーと検索をかける、美味しそう、飲みたい、作りたい、みたいな。

あれの組み合わせって相当センスが必要だ。ローラとかすごい。すごいやばいすごい。

 

あとは好きなアイドル、妄想キャリブレーションさんのアニメタイアップが発表された。めちゃくちゃ感動した。それくらい。