INVISIBLE STORM

だからわたしはわたしを砕く

責任という呪い

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 昨日は余裕がないと言ったけれど、あれは嘘だ。人間、規則正しい生活をすればある程度時間が出てくるし、体力を使うことに慣れたらその分保つようになる。部屋の片付けとか家事とかもリセットされているおかげで「これをやらなくてはならない」という焦燥感がなく、心の余裕が凄まじい。この心の余裕を得るために、定期的に引っ越しをしたいくらいだ。

 ある程度、生活習慣を定めてもらえるとそれに則って動けばいいから意外と楽なのかもしれない。ある程度ルールを定めてもらったほうが、「自分が何をすべきか」「何が悪いことか」「どうしたら正しくいられるのか」ということを考えすぎずに済む。考えすぎると、不安や迷いで全部嫌になって辞めてしまう。ゲームだって、自由に色々やらせてもらえるものよりもやることが決まっていて淡々とそれらをこなすものほうが好きな人間だ。人に全てを管理されたり、自分の予定を他人都合で捻じ曲げられるのは嫌だけど、ある程度の不自由の中での自由の方が快適なのだ。自由には、責任がつきまとうので。

 運転免許証を取るために四苦八苦しながら生活を正しているわけだが、教習中や運転中、試験勉強中に「自分みたいな人間が本当に運転をしていいのだろうか……」という気持ちになる。教習中は何を自分がしているのかわからなくなるし、慌てて教習車とぶつかりそうになるし、アクセルとブレーキを踏み間違えそうになるし、正直自分が怖い。

 昔から、手に入れてしまうと「持っていなかった自分に戻れなくなるもの」を極端に怯えるきらいがある。内定とかも「本当に自分はこれでいいのかな」という不安からあまり喜ぶことができなかったし、「怖いから捨てちゃいたい」という思いでたくさんになってしまう。

 そういうものの共通点って基本的に「責任」がかなり付き纏ってくるんですよね。社会人の「責任」、運転手の「責任」、会社員としての「責任」。この「責任」という言葉に強い苦手意識がある。

 「責任」って言葉、かなり仰々しいしなんか怖いしすごく苦手です。中学時代、部活で失敗して先輩の悪口を同級生に言ったらそいつに全部チクられてリンチされて「これからは自分の発言に責任を持つようにします」と泣きながら言わせられるトラウマ経験をしたせいで、「責任」という言葉にのしかかる重圧に泣いちゃいそうなのだ。

 「責任」という言葉を「この人は攻撃してもいいですよ」という目印にされているような気がして、その言葉を背負わされると全員が敵みたいに見えてきて怖い。何でそんな脅しみたいにいろんなところに存在しているんだろう……と思ってしまう。呪いって、こういうのを言うんじゃないか……。

 この言葉のせいでネガティブになって緊張してガチガチになるよりも、肩の力抜いた方がいい結果が出るし適当なほうがある程度はうまくいく。ただ、そのために「何を守らないといけないのか」とか「どうあるべきなのか」というルールがやっぱり必要なんだと思う。ルールは盾で、遵守する限り責任という重圧から守ってくれる。不自由には、安心がある。私は弱いので、責任という剣で自由を開拓していくよりもルールという盾に守られて引きこもって安心していたいのだ。